ついに辿り着いた希望への序曲
さて、そんなわけで、新劇場版3作目にして、ついに劇場へ行くことに。
しかし、事前にチラホラと流れてくる「訳が分からない」という噂…。
うん?ここにきて訳が分からないとな?
と、一抹の不安とともに劇場へ。
「巨神兵東京に現わる」と「Q」の導入
予告編のあと、スタジオジブリ作品のトトロの画像のあと、樋口真嗣監督の「巨神兵東京に現わる」からスタート。
この短編の製作開始のニュースはネットで見たけど、詳細を知らなかったので「?」な僕。
巨神兵なのに、なぜナウシカの声じゃなくて綾波の声なの?
しかし、「Q」を観終わった今となっては、そんなこと出来るのか分からないが、これは「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」のDVDに同時収録した方が良いと思う…。
なぜなら、「巨神兵東京に現わる」は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」と同時に観ることに意味がある映像だと思われるからだ。
「Q」冒頭の衝撃と「14年後」の真実
そして、いよいよ「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」スタート。
既に観ていた冒頭6分38秒から。
あれ、TV版と違ってマリが歌ってるね?
と、その冒頭6分38秒のあとが予想外の展開。
ここからが頭の中が謎解きフル回転モード(楽しい)だ。
僕はここで前述の「訳が分からない」という噂に引っ張られていて、
- 真のエンディングにたどり着かないように、さらに謎を足してきている?
- ここは「破」とは違ったパラレルワールドなのか?(前回のレビューで書いたが、渚カヲルがパラレルワールドを認識しているとなると、劇中でまた別のパラレルワールドに移動する可能性が出てくる)
などの予想を立てつつストーリーを追っていた。
しかし、その予想も「14年後」の台詞で帳消しになる。
ん?14年後?…ということは極めてまっとうに話が進んでいるんじゃないか!
そして、その14年の空白は、我々観客のみならず、主人公・碇シンジにとっても同様なわけで、これはうまい演出だといえる。
我々はここでもシンジとシンクロしていることになるわけで、我々の疑問はそのままシンジの疑問といえるからだ。
シンジの受難と「Q」の評価
しかしここで、エヴァで初めて主人公・碇シンジがストーリーの中心から外される。
なんたって「破」のラストで「行きなさいシンジ君!」と、彼の行動を肯定し、今まで常にシンジの良き理解者であった葛城ミサトから拒絶されるのだからショックは大きい。
しかも、旧作と違って新劇場版のシンジは頑張っているように感じられ、なおかつ観客は彼に感情移入できる構成になっていたのだから尚更だろう。
おそらく世間にある「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」への否定は、「序」「破」で積み上げてきたシンジの努力が水泡に帰す(いや、実際はもっと悪い)ところにあるのではないだろうか。
ただ、忘れてもらってはならないのは、「Q」はあくまで4部作の3作目だということ。
それに、今作は「Q」と冠されてはいるものの(QがQustionのQと仮定してだが)そこに示される情報は、新たな謎よりも、今までのエヴァの謎に対する答えの方が圧倒的に多い。
確かに変化球ではあるが、しかし最終的にはストライクコースに来ているのが、本作「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」だ。
そもそもボールを投げて来なかったり、明後日の方向にボールを投げたというのであれば、「壊れた」「訳が分からない」の批判もあり得ると思うが、「Q」はそれには当たらない。
ただ、打者としての力量が問われる作品であるということは言えると思う。
「Q」がもたらしたエヴァ観の変化
実際に、僕は「Q」を観ることによって、エヴァに対する疑問のかなりの部分が解消した。
そして同時に、旧作に対する感想がまるっきり変わってしまったのが事実だ。
「そういうことだったのか。今までその可能性については1回も考えたことなかった!」と。
そのために、TV版-旧劇場版までさかのぼって感想を書いた次第である。
旧作において、僕は、「おそらく大風呂敷を広げたものの、難解な設定や伏線に対する答えは最初からなかったのであろう、と」結論づけた。
しかし、それが間違いであったことを思い知らされたのだ。
「Q」は4部作の3作目ということもあってか、かなり厳しいストーリー展開になっていて、そのまま終わっている。
しかし「序」「破」「Q」では旧作とは決定的に異なっている点が一つある。
その一つの違いこそが、新劇場版に残されている「希望」なのだ!




…ちなみに、今回の「Q」によって、なぜ新劇場版は4部作なのに「序破急」という3幕構成のタイトル+1(シン・エヴァンゲリオン劇場版:||)という謎も明らかになった。
それに関しては、回を改めて「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」感想(2)に続く…(ラストシーンに対する考察なので、しばらくあとで…)
