「ゼロ・グラビティ」感想(ネタバレなし)

映画が到達した最高峰の作品


※ジャケット画像はAmazonリンクを使用しています。

年末年始にかけてバタバタして、劇場で観ることを諦めかけていた「ゼロ・グラビティ(3D)」を観ることが出来た。

素晴らしい体験だった。後半は涙が止まらなかった。

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注:基本的に以下の感想はネタバレなしの方向で書いています。ただ物語は何でもそうですが、一切予備知識を入れない方が当然楽しいので、その点はご了承ください。

「ゼロ・グラビティ」の感想を簡潔にまとめてしまうと、宇宙空間で事故にあった宇宙飛行士が、どう行動したかという話である。

上映時間は91分と、映画の平均からは短く、ストーリーらしいストーリーもない。

それなのに僕は涙を流して感動した。これは映画が到達した最高峰の作品であるだろうと思う。

いつもの記事と違い、先に感想をまとめてしまったのには理由がある。

ここからは、特撮を必要とする映画についての考察を交えて「ゼロ・グラビティ」の感想を始めたいからだ。

そういった技術的なことに興味のない方で、まだ「ゼロ・グラビティ」を観ていない方は、すぐにでも劇場に足を運んで欲しい。

なぜなら「ゼロ・グラビティ」は3Dで観ることに特に意味があると思うからだ。

さて、昔、特撮を必要とする映画というものは、観客に想像力が求められるものであった。

もしあなたが1990年代以降の映画しか観たことがないのであれば、何を言っているのか分からないと思う。

しかし、昔の特撮というものは、映画監督のイマジネーションを技術的に下回っていたのだ。

例えばそれは、中に人間が入っている着ぐるみであることが十分に想像出来た。

それは、その挙動から、何らかの糸で釣っているだろうことが想像出来た。

物理的に制御出来ない水滴や火花などの粒の大きさから逆算して、映像に写っているそれは、本当は巨大な物体ではなくミニチュアであることが想像出来た。

俳優の滑らかな動きに対して、コマ落ちしているような動きをしているそれは、ストップモーションの合成であることが想像出来た。

およそ本物には見えないそれらを脳内で補完して、僕らは映画というものを観ていたのだ。

転機が訪れたのは1993年だ。

「ジュラシック・パーク」の冒頭で、CGのブラキオサウルスが立ち上がった時、僕はものすごい衝撃を受けた。

僕は無類の恐竜好きであるので、動いている恐竜を見ることが出来たという衝撃もあったのだが、同時に映画に対してある確信を持った。

それは、「今後、映画において、出来の悪い特撮を脳内で補完する必要はなくなるだろう」ということだ。

そして、それは完全に現実のものとなった。

現在、ハリウッド映画を観るにあたって、出来の悪い特撮によって現実に引き戻されることは、まずない。

「ゼロ・グラビティ」においても、そういった技術的な進歩の恩恵を受けて、僕らはまさに主人公ライアン・ストーン博士(サンドラ・ブロック)の体験を共有することが出来るのだ。

加えて「ジュラシック・パーク」の時には予想もしなかった3D映画の普及である。

僕らは冒頭から、地球を見下ろす宇宙飛行士になれるのだ。

かつて「ファイト・クラブ」で、ビルの壁を無視してカメラが縦横無尽に動いて度肝を抜かれたことがあった。

どうやってこんな映像が撮れるのか?

これも答えは徹底的にリアルに作りこんだCG空間の中をCGのカメラが動いているわけであるが、「ゼロ・グラビティ」においても、もはやカメラワークに制限はない。

全体を見渡す引きの映像から始まって、カメラは船外活動中のライアン・ストーン博士に寄って行き、宇宙服のキャノピーを無視して顔にズームし、そこからシームレスにライアン・ストーン博士の視点に移動する。

そして、観客はライアン・ストーン博士が見ているのと同じように、自分の目の前で、吐息に曇る宇宙服のキャノピー越しに宇宙空間を見るという仕掛けだ。

宇宙空間というものは、こんなにも美しく、そして恐ろしいのだという純粋な驚きがそこにあった。

考えてみれば、「ジュラシック・パーク」以降においても宇宙を題材にした映画は数多く作られている。

3D映画も「アバター」「スター・トレック イントゥ・ダークネス」とSF作品との相性も良い。

しかしである。今まで特撮を必要とした映画は、主に未来や異世界といったものの描写に力を入れてきた。

まず、宇宙にいるということは前提で、そこに何を加えていくかという作業であったように思う。

僕が「ゼロ・グラビティ」に驚いたのは、そういった新しいイマジネーションやビジュアルを一切使わない、いわば今までありきただりと思っていたことの中に、こんな鉱脈があったのかということである。

現在の実際の技術の範囲内で宇宙で活動することを、徹底的にリアルに描写することが、こんなにもすごいことなのかという純粋な驚き。そして恐怖。

確かに現在、昔より宇宙というものは近くなったように感じる。国際宇宙ステーションでは日本人のスタッフも活躍しているし、無重力状態での実験映像も目にすることが出来る。

しかし、やはり多くの人間にとって、宇宙飛行士の体験というものは、実際には出来ないものなのだ。

「ゼロ・グラビティ」は、危機的状況の宇宙飛行士というものを、まさに体験出来るものになっている。

一方で、昔から映画にリアリティを求める手法としては、ストーリーをノンフィクションにするというものがある。

例えば「アポロ13」がそうだ。実際に起きた事柄をベースにして、危機的状況の宇宙飛行士を描き、地上で彼らを地球に無事に戻すべく奮闘するスタッフを描き、家族を描き、そういった丹念な積み重ねがリアリティと感動を作っている。

ところが「ゼロ・グラビティ」はフィクションであり、そういった重厚な描写はない。物語は宇宙空間だけで進行し、無駄な描写は何ひとつない。登場人物のバックボーンさえ、深くは分からない。

それなのに、ノンフィクションを超えるようなリアリティと感動が、そこにある。

こんな作品を出されてしまったら、他の映画監督は頭を抱えてしまうのではないか。

終盤、おやっと思うようなフックになるシーンがある。

そして、そのシーンの謎が解け、スイッチが変わってから、ラストまでの畳み掛けるような展開がまた素晴らしく、そこから僕は泣いてしまった。

3Dメガネ外したくないし、まったく困ってしまうのだけれども(笑)

最初に述べたように、「ゼロ・グラビティ」は映画が到達した最高峰の作品であるだろうと思う。

映画好きで良かったと、しみじみ思える素晴らしい作品であった。

「ゼロ・グラビティ」感想イラスト

原題にはゼロはありません