現代の価値観そのものを問う
映画「アメリカン・スナイパー」観てきた。
久しぶりに社会派の考えさせられる映画であった。
「アメリカン・スナイパー(American Sniper)」とは
アメリカ海軍の特殊部隊ネイビーシールズに入隊し、4度のイラク戦争従軍で、スナイパー(狙撃手)として活動した実在の人物クリス・カイルの著した自伝「アメリカン・スナイパー/ネイビー・シールズ最強の狙撃手(American Sniper)」を、クリント・イーストウッド監督が映画化したものである。
クリント・イーストウッドについては、もはや説明不要だと思うが、「ダーティハリー」シリーズ他で俳優として不動の地位を築き、さらに監督として活動。
現在までアカデミー作品賞とアカデミー監督賞を2度受賞するなど、監督としての評価も高い。
「アメリカン・スナイパー」序盤のあらすじ
クリス・カイル(ブラッドリー・クーパー)は、異国の地の軍事作戦で建物の屋上からスナイパーライフルを構えていた。
海兵隊が進む先には、不審な母親と子供がスコープの中に見えるのだが、クリスに指示を与える上官からはその姿が見えない。
上官の指示を仰げない状況の中、クリスは自分の判断で撃つのか撃たないのかの選択を迫られる。
隣にいる同僚は「間違ったら軍の刑務所行きだぞ」と忠告する。
クリスはスコープの中の子供に照準を合わせる…。
今回の感想は、映画「アメリカン・スナイパー」が実話に基づく作品ではあるものの、あくまで映画の中から読み取れる情報を元に構成していることを予めお断りしておきたい。
映画としての完成度とスナイパーの役割
最初に技術的な面から考察すると、「アメリカン・スナイパー」は、映画としての完成度が極めて高いと思う。
主人公クリス・カイルはスナイパー(狙撃手)なので、その作戦行動は主に長距離狙撃である。
そもそもスナイパーとはどんなことをするのか?
おそらく自分も含め何も知らない観客であっても、本作を観るだけで、その行動内容が自然に理解できるようになっている。
なるほど、戦場におけるスナイパーの役割とはこういうものなのか、と。
スナイパーは長距離狙撃が任務なので、基本的には本隊とは少し離れた所で行動する。
そのため、同じ作戦であっても、スナイパーと本隊とで、別の地点での描写を行う必要が生じる。
それに加えて戦場では敵やその他の状況の描写、と複数の視点が入り混じることになる。
こういった難易度の高い描写を行う必要が多いにもかかわらず、作品中で、いま何が起こっているのか分からないという部分はない。
実際、作品鑑賞中はその構成の巧さには気付かないほど。
とにかく的確な描写で、後から思い返して、そういやとんでもない完成度だなと気付かされるのだ。
真の賢者は難解な言葉を平坦な言葉で表現する、である。
クリス・カイルの価値観と監督の問いかけ
クリスの価値観は、父親から受け継いだ「世の中には、狼、羊、番犬が存在する。お前は強い番犬になれ」である。
絶対悪である狼から善良な羊を守る強い番犬になるべく、彼は志願してネイビー・シールズ最強の狙撃手になったのだ。
アメリカで銃規制が取りざたされる度に聞くようなこの価値観だが、これがそのままクリント・イーストウッド監督の価値観ではないと思われるところが本作「アメリカン・スナイパー」のポイントだろう。
そもそも、クリスの価値観は、自分で獲得したものではない。
封建的な父親によって幼い頃に刷り込まれたものであり、彼が後に精神科医にカウンセリングで話す通り、最後までその価値観に対して疑問すら抱いていなかったはずだ。
クリスは何度も戦地に趣き、目覚ましい功績を上げ、仲間内からは「レジェンド(伝説)」と称され慕われるようになる。
そして、作戦以外での妻子との平和な暮らしの中では生きる実感を見い出せなくなっていた。
誰だって平和な暮らしの方が良いだろうと思うのは早計だ。
少なくともクリスにとっては、戦地での作戦行動の方が平和な暮らしよりも充実した日々であったのだろう。
これは、クリスの弟など戦地で別の感想を持つに至ったキャラクターとの対比で描かれている。
クリスは戦場はクソだと吐き捨てる弟の気持ちが分からないのだ。
クリスは番犬の価値観に疑問を抱かなかったが、クリント・イーストウッド監督はそうではない。
それは、敵側にクリス以上の凄腕スナイパーを描写し、鏡写しの構造にしていることからうかがい知ることが出来る。
「世の中には、狼、羊、番犬が存在する。」…この前提条件は果たして正しいのか?
クリント・イーストウッド監督が投げかけるメッセージはそこだろうと思う。
そして、完全に無音という珍しいエンドロールで、それを問うのだ。
あなたは、どう考えるか?と。
