あらためて描かれる「猿の惑星」
先日、ようやく「猿の惑星:新世紀(ライジング)」を観ることが出来た。非常に面白かった。
また、これに先駆けて、「猿の惑星」の過去作を全て観直した。
それらを踏まえて、前作である映画「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」(原題:Rise of the Planet of the Apes)のレビューから始めたい。
「猿の惑星」シリーズとは
「猿の惑星」を始まりとする一連の作品群である。
現在のところ、以下のような作品が存在する。
- (A1)「猿の惑星」(Planet of the Apes)(1968)
- (A2)「続・猿の惑星」(Beneath the Planet of the Apes) (1970)
- (A3)「新・猿の惑星」(Escape from the Planet of the Apes) (1971)
- (A4)「猿の惑星・征服」(Conquest of the Planet of the Apes)(1972)
- (A5)「最後の猿の惑星」(Battle for the Planet of the Apes)(1973)
- (A6)「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(Planet of the Apes) (2001)
- (A7)「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」(Rise of the Planet of the Apes)(2011)
- (A8)「猿の惑星:新世紀(ライジング)」(Dawn of the Planet of the Apes)(2014)
- (A9)「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」(War for the Planet of the Apes)(2017)
「猿の惑星」(A1)を起点とした「最後の猿の惑星」(A5)までが直接の続編(以下、旧シリーズと呼称)
ティム・バートン監督がリメイク(リ・イマジネーション)したのが「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(A6)(以下、ティム・バートン版と呼称)
そして、「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」(A7)を起点とし、「猿の惑星:新世紀(ライジング)」(A8)、次作「猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)」(A9)と続いているのが新しいシリーズである(以下、新シリーズと呼称)
ティム・バートン版と新シリーズは旧シリーズの影響を受けているものの、旧シリーズの直接の続編ではない。また、ティム・バートン版と新シリーズの間にも関連性はない。
「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」序盤のあらすじ
ウィル・ロッドマン博士(ジェームズ・フランコ)は製薬会社に勤務し、アルツハイマー遺伝子治療薬の研究を行なっていた。
開発中の薬を実験台の雌チンパンジー「ブライト・アイズ」に投与すると、めざましい知能の向上が観察できた。
この成果を元にウィルは次の段階の臨床試験を会社に申請する。
ところが、ブライト・アイズは突如暴れだしたうえに射殺されてしまう。
この事故をきっかけにウィルが進めていた研究は中止。実験台のチンパンジーも全て殺処分されることが決定される。
しかし、その過程で、ブライト・アイズの子供が発見される。ブライト・アイズが暴れたのは、この子供が生まれたことによる防衛本能だったのだ。
ウィルはブライト・アイズの子供に「シーザー」と名付け、自宅で育て始める。
シーザーは親譲りの高い知性を示し、ウィルは研究が中止されてしまったアルツハイマー遺伝子治療薬の効果を確信するのだった…。
まず、「猿の惑星」(A1)は、主人公の宇宙飛行士が不時着したのが「類人猿が支配し、人間と類人猿の関係が逆転した惑星」であり「その惑星が実は未来の地球であった」という衝撃のラストで話題になった作品である。
「猿の惑星」の旧シリーズは、演繹法にてストーリーが進む傑作で、まるでリレー小説を読むような面白さがある。しかし、そのために、脚本の繋がりに穴があるのも事実。
ティム・バートン版は、バットマンシリーズのリメイクを成功せた鬼才、ティム・バートン監督が、あの猿の惑星のリメイクを行うということで、公開前から話題になった作品である。
しかし結果は惨殫たるもので、その後、そこからの続編が作られることはなかった。
ティム・バートン版は、「猿の惑星」のリメイクの難しさを示したと思う。
新シリーズの挑戦とテーマ
今回の「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」(A7)は、「猿の惑星」(A1)、「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(A6)とはスタート地点を変え、「なぜ地球が猿の惑星になったのか」というアイデアを元に新シリーズをスタートさせている。
地球が猿の惑星になるには、過去作から逆算すると「人類が文明を失い、その数を大幅に減らしている」「類人猿が言語を操るほどに進化している」の条件が必要になると考えられる。
実は「なぜ地球が猿の惑星になったのか」は、旧シリーズ「新・猿の惑星」(A3)以降で語られていた。
それは、未来の地球から、類人猿のジーラとコーネリアスが1973年の地球にタイムトラベルしてきたことを原因とするタイムパラドックスだった。
完全にストーリーが完結している「続・猿の惑星」(A2)から、タイムトラベルによって話を繋げる「新・猿の惑星」(A3)のアイデアは素晴らしいが、そもそもがパラドックスなので、腑に落ちない部分は残った。
「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」(A7)は、現代とあまり変わらないように見える世界が舞台であり、猿の惑星の始まりにタイムパラドックスありきという設定を使わずに新たな始まりを創造しているのだ。
物語の序盤は、人間のキャラクター、ウィル・ロッドマン(ジェームズ・フランコ)が引っ張ることになる。
「猿の惑星」(A1)、「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(A6)では、主人公が人間のキャラクターであった。
しかし、本作を観ると、「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」(A7)の主人公はチンパンジーの「シーザー」であると考えられる。
ちなみに「シーザー」とは、旧シリーズにおいて「猿の惑星・征服」(4)以降の主人公にして類人猿の世界の始祖となる、ジーラとコーネリアスの子供が自ら選んだ名前でもある。
ビジュアルとストーリーテリングの妙
ビジュアル面では、シーザーを始め、類人猿の造形が素晴らしい。
類人猿は、1968年の「2001年宇宙の旅」において、着ぐるみによる素晴らしい造形がすでに完成していた。
また、CGの猿と言えば、1995年の「ジュマンジ」が頭に浮かぶ。こちらはまだ技術的に改良の余地があると思える出来だった。
しかし、本作の類人猿の表現はこれらのものから隔世の感がある完成度を誇る。
さすがピーター・ジャクソン監督の「キング・コング」(2005)を手がけたWETAデジタルといったところだろう。
ストーリーは、前述の通り、タイムパラドックスを使わずに地球が猿の惑星になる過程を背景に、シーザーの物語が語られる。
巧いと思うのは、「猿の惑星」の過去作からのオマージュが随所に散りばめられている点だ。
シーザーの母親の名前は「ブライト・アイズ」で、これは「猿の惑星」(A1)にて、主人公のジョージ・テイラー大佐(チャールトン・ヘストン)が、ジーラに付けられたニックネームと同じである。
また、物語の中盤で、シーザーが霊長類保護施設に送られることになってしまうが、ここでシーザーが受ける仕打ちは、「猿の惑星」(A1)にて、ジョージ・テイラー大佐が類人猿から受ける仕打ちと酷似している。
ここは「猿の惑星」(A1)と裏返しの形になっていて、頭脳が進化した類人猿シーザーが迷い込んだ奇妙な世界(人間世界)という構造になっている。
しかし、何より巧いと思えるのは、そういったオマージュは、旧作を観ていると、そのリンクが楽しいという程度で、実際の所は過去作を一切観なくても問題ないという作りになっている点だ。
おそらくティム・バートン版「PLANET OF THE APES/猿の惑星」(A6)が失敗したのはその点だと思う。
とくにラストのセードのシークエンスは、旧シリーズを踏襲して描写をかなり(おそらく意図的に)省いているために、旧シリーズ全般を観ていないと分かりにくい。
それにも関わらず、事前に「これはリメイクではなく、リ・イマジネーションである」と、新しいものを提示する(旧シリーズを観ていなくても問題ない)といった感じにプロモーションしてしまったのが良くなかった。
「猿の惑星:創世記(ジェネシス)」(A7)の主人公をシーザーと捉えると、本作は、シーザーの誕生、シーザーの成長、そしてシーザーをリーダーとした類人猿たちの勃興(Rise)の3幕構成であることが分かる。
(Riseが本作の原題で、日本語タイトルが2作めをライジングとしているのでややこしいが、2作めの原題はDawnで、夜明けや始まりを意味する)
そして、シーザーが成長過程で、様々な人間に出会うことが、そのままシーザーの行動に直結していく脚本は感動的ですらある。
これを受けて、「猿の惑星:新世紀(ライジング)」(A8)が制作・公開された。そしてすでにさらなる続編の制作が決定していることが、新シリーズの成功の証であろう。
(映画「猿の惑星:新世紀(ライジング)」感想につづく)
